COVID-19は人類の知を結集して解決しなければならない問題です。
そのために、半端ない数の臨床研究が立案・実行されています。政府も簡単に研究費をおろします。
しかし目的がダブっていたり、質の悪いデザインの研究が横行している。
この件について批判する論文が出ました。必見です。
Contents
このパンデミックで質の悪い臨床研究が横行している件
今は、世界中の医学研究者にとって、かなり臨床研究を行いやすい環境となってきています。
新型コロナウイルスに関する研究なら、実に簡単に研究費がおりるのです。
世間にも「治療薬が欲しい」という強烈なニーズがあり、試験が組みやすい。
しかしこの状況は、疫学的な観点から言うと理想的とはとても言えません。
多量の質の悪い研究が横行しているからです。
私の所属する研究室でも、この(悪い)現象が度々話題になります。
これを批判する論文が4/23にScienceより発表されました(Science. 2020;eabc1731.)。
著者はAlex John London、哲学の教授です。
これは大事な視点です。
*原著論文は美しい英文でわかりやすく書かれており、論文執筆の参考になる表現が散りばめられています。
興味ある方は是非一度読んでみてください。
危機的状況だからといって、研究の基準を下げて良い訳ではない
問題となっている臨床研究は次のようなものです:
・参加者が少ない
・立証されていないsurrogate endpointが使われている
・二重盲検化されていない
こういう質の低い研究でも、COVID-19に関するものだというだけで研究費もおりるし、一流誌(Scienceも含む)に載る可能性もあります。
質の低い研究が許容されうる理由に「危機的状況だから」というものが考えられます。
なぜ危機的状況だから正当化されうるのか?
3つの(誤っている)観点があります。
1 結果が出るまでに時間がかかる大規模研究を待っていられない
待ってられないから、質の低い研究だとしても何らかのエビデンスが欲しい、というニュアンスです。
実際、パンデミックに対応するには、スピード感を持って臨床研究が行われる必要があります。
しかし実際は、小さい研究をいくつもやったことで得られる知見は限られています。
具体的には:
・通常の薬剤開発過程では、最終段階(第3相試験)は大規模なランダム化試験ですが、第1-2相が良い結果でも第3相試験で効果なし、となることは頻繁に見られます
・小規模な研究が多いと当然偽陽性率も高くなるので、小規模だけど重要な報告、というのが区別できなくなってきます
・小規模な研究をしている、ということで、臨床医がより大規模な研究に参加しない理由としてしまいます
・小規模な研究結果に基づいて治療選択が行われている現状、(それが実際の効果を示していないにも関わらず)大規模な研究を行うモチベーションを下げます
(質の高い)大規模研究こそが必要なのです。
2 ランダム化や二重盲検化を、実臨床でやるのが面倒
実際そうです。
でも、ランダム化や二重盲検化は、臨床のクオリティを上げるためにこそ重要なのです。
治療法や治療薬を適切に比較することで、効果的なものを臨床医が選択できるようになります。
それこそがevidence-based medicine (EBM)ですね。
逆に、そういう試験なくては臨床現場は改善しません。
3 研究者やスポンサーは基本的に自由に研究を組んで良い
これは原則のように思います。
しかし、実際はガイドラインや社会がレギュレーションをかけています。パンデミック時でなくとも。
なぜなら、研究で得られる情報は、公衆衛生に良い影響をもたらすものであるべきだからです。
→そういう情報に基づき、臨床医や政策決定者が効率的に動きます。
リソースは限られているので、研究の内容もコントロールされるべきなのです。
自由に質の低い研究が乱立される事は、逆に公衆衛生を害し得ます。
実用的なエビデンスのため、どういう点が重要か?
筆者らは、実用的な臨床研究を行うため、5つのポイントを指摘しています。
どれも当たり前ですが、しっかり認識されるべき点です。
<研究の重要性>
研究というのは、evidence gapを埋めるものです。
現実的かつ臨床で意味のある介入が検証されるべき。
そうでないのは検証されるべきでありません。
例えば北米だけで、ヒドロキシクロロキンに関する臨床研究が18以上組まれています。
それぞれレジメンは違うのですが、こんなに必要ないのは明らか。
18個もあればmultiple testingの問題から、偽陽性が生まれうる(この記事参照)。
→18個もの結果をどう解釈したら良いのか。今後大きな問題となりますね。
<研究デザイン>
二重盲検化は必須、アウトカムもしっかりしたものである必要がある。
そうでないと実用的な解釈のできる研究となりません。
最近のBCGワクチンに関するランダム化研究について苦言を呈しています(Science, eaab8297)。
ランダム化といっても、参加者がBCGワクチンかどうか実質的にわかってしまうと。
参加者がわかった時点でバイアスがかかり、有用な因果関係とは言えなくなるのです。
→そうならないために「二重盲検化」が必要なのでした
<解析のintegrity>
デザインは前もって宣言、登録されるべき。当然ですね。
そうでないと後付の解析=後ろ向き解析と同等のクオリティとなり、実質的に臨床に還元される質の研究と言えなくなります(後ろ向きについてはこちら)。
これが守られてない研究すら報告散見されます。
最近のヒドロキシクロロキンの研究は、前もって登録されたエンドポイントと異なるエンドポイントで報告されています。
これが論文中に明記されていないものもあるのです。。(New York Timeの記事参照)
<科学に基づいた報告がされるべき>
報告はpeer reviewを行われた上でしっかりされるべき。
しかし最近は、peer review前に報告が拡散されます。しかもバイアスのかかる形で。
→「効く」という報告は「効かない」というものより大々的に広まりやすいですよね。
さらに質の低い研究が蔓延ることで、(peer reviewを行う)reviewerの人手不足になります。
reviewerは研究者なので、人材が限られています。
<実行可能性>
当然研究は実行可能でなくてはいけません。
でもリソースは有限です。患者を集める労力も相当にあります。
研究が乱立すると、頓挫するものも多数生まれてきます。
良いエビデンスを生み出す質の高い研究を絞り、そこにリソースを集中される必要があります。
メッセージ
臨床医は、エビデンスの低い薬剤を治療薬として使うことを止め、質の高い臨床試験にenrollすることをプライオリティとすべきなのです。
そしてその研究が早く完結するために助力する。
それこそが公衆衛生、各々の患者に最も貢献する臨床プラクティスと言えます。
政府含むregulatorやスポンサーは、臨床研究を厳選し、病院間の連携を進めるよう先導すべき。
これらは最優先されるべき、非常に重要なことです。
書評
まさにそうだな、という感じです。
NEJM、LancetやそれこそScienceといった超一流医学雑誌でも、最近は週刊誌のような見出しの質の低い報告が多数見受けられます。
通常時では考えられないような(質の低い)デザインであったり(少)規模だったりします。
そしてこの論文が注意喚起しているように、今乱立している臨床試験が今後続けて報告されてきます。
コロナの情報への需要が半端ないので仕方ないことですが、かなり懸念される状況ではあります。
この論文で紹介されている考え方こそが、疫学を通じて公衆衛生に寄与する行動です。
大変だと思いますが、質の高い大規模ランダム化試験へ患者登録できる環境整備、その重要性の喚起が望まれます。
ではまた。