医者が何のために臨床研究するのか【極論】

大半の研究はあってもなくても、世の中何も変わりません。

自分が今までやってきた研究で世の中を少しでも変えたことは当然無いし、そんな研究ができた人はほとんどいないと思います。

ではなぜ医者は臨床研究をするのか。

今臨床を離れ研究にフルコミットしている自分が、しっかり考えてみました。

 

*基礎研究の話ではありません。

 

 

医者が何のために臨床研究するのか

医者が何のために臨床研究するのか

医者は患者を診るだけでなくて、他にもやるべきこと、できることがたくさんあります。

その中でも本気で研究にコミットしようと思ったら、臨床医はプライベートを捨てるくらいの覚悟が必要になります。

でも実際、それくらいの覚悟で病院のデータを使って研究する医者は世の中にごまんといます。

そして現実、ほとんどの研究は、世の中を少しでも変えることはありません。

なんで大変で意味ない研究に没頭するんでしょうか。

 

これはかなり根源的な問いで、何度も何度も自問自答してきました。

今考えている自分なりの答えを書いてみようと思います。

 

*2-3年後には変わっているかもしれません。

*基礎研究ではなく臨床研究の話です。

*誰かの研究スタンスにケチつけようとは全く考えていません。人それぞれです。

 

 

世の中を変える研究ってなに?

医者の世界では、診療ガイドラインのコアな部分を変える研究です。

ガイドラインの記述が少し変わってもあまり影響はなくて、コアな部分こそが影響します。

それ以外は世の中にインパクトを与えません。

 

*当然例外はあるでしょうが、稀です。これは一般論です。

以降も誤解を恐れず断言していきます。

 

 

診療ガイドラインを変える臨床研究とは?

ガイドラインに載る研究はたくさんありますが、今から診療方針を変えるほどのインパクトがある研究はほとんどありません。

はっきり言って、New England Journal of Medicine, Lancet, JAMAあたりに掲載された一部のランダム化試験、もしくはそれを引用したメタ解析くらいでしょう。

 

メタ解析は立派な研究ですが、自分の研究感はありません。

Original researchで直接世の中を変えたいと思った時、目指す方向性は2つあると思っています。

 

A: 新薬や新規デバイスに関する大規模ランダム化試験

これは有名病院や有名医師が行う、企業サポートが実質主導する研究。

効果が出れば保険承認され、臨床現場で使えるようになるため、診療方針が変わる。

*これは自分がやってる感がどれほどあるか、微妙かもしれませんが。

 

B: 「こういう場合はこうするほうが良いですよ」という研究

既存の検査法や治療法の最適化に関する研究。

医者が主導する。

 

例えばこんな研究です:

今まで冠動脈が細ければPCIという治療をしていた。でもFFRという指標が高い病変は、PCIしても意味ない事が分かった。

よって、FFRが高い病変はPCIが推奨されなくなった。

(COURAGE研究やDEFER研究)

 

多くの臨床医はBの研究をしたいと思ってがんばりますが、そのためには例えばこんな道のりが必要そうです。

小さい単施設の観察研究を行う

→学会で発表して知名度を得て、グラントも取る

→多施設でレギストリー研究を行い、論文にする

→大きなグラントを取る

→preliminaryなランダム化試験を行う

→結果を出して世界から注目を集める

→数年がかりの大規模なランダム化試験を行う

 

これが一つの仮説を実証するのにかかる年数です。

しかも、こんなうまくいくことは、ほとんどありません。

当然競争もあります。

 

更に言えば、大規模なランダム化試験を行っても、その1本で世界が変わることはありません。

必ずlimitationがありそこが指摘されるので、他の大規模ランダム化試験が必要となる場合が多いのです。

 

*医者はよく「ランダム化試験しか信用しない」と疫学者に揶揄されるほど、ランダム化試験絶対主義です。

 

 

世の中を何も変えない研究をなんでやるの?

答え。

研究が好きだからです。

 

逆に、人類や医学のためにやっている、という回答はほとんど建前だと思っています。

それをモチベーションにしてやり始めたとしても、すぐにそんな高尚な研究はできないことに気づきます。

よって、そのプロセス自体が好きでないと、続けていくことはできません。きっと。

好きで続けていくうちに、影響力が大きくなって、インパクトのある研究ができるのかもしれません。

 

スポーツと似ていると思っています。

なぜテニス選手を目指すのかといったら、テニスが好きだから。

テニス選手への道のりは険しいし、あなたがテニス選手にならなくても、世界は変わりません。

色んな過程を乗り越えてトッププレイヤーになるのは、テニスが好きで努力をした人だけです。

トッププレイヤーになれば、色んな人に直接的・間接的に影響を与えることができます。

 

 

論文が読めるようになる、というが・・

確かに臨床研究をやればある程度臨場感をもって論文が読めるようになると思います。

でも、疫学を体系的に習わずに論文を読むことは限界があるとも思います。

 

疫学の観点で論文を読むと、循環器の最高峰の雑誌であるJACCやCirculationを読んでも、穴ばかり見えてしまいます。

今の疫学グループの抄読会で取り上げられるのはNEJM, Lancet, JAMAがほとんどで、それらの論文も半端なく批判されます。

実際になにかを変える、という視点でみると、limitationがありすぎる研究がほとんどなのです。

(もちろんそういう雑誌に発表するのはすごいことで、これは別の議論です)

 

また、臨床医に求められるのは論文の知識でなくガイドラインの知識だと思います。

ガイドラインの基になっている研究を理解する、というのは実質的に仕事と関係ないので、趣味の領域だと思います。

だから、論文を読めるようになるために臨床研究をやる、というのはちょっと違う気もします。

 

 

そもそも・・・

医者が世の中のためになる仕事をする、というのは、医者当事者も含め思い込みです。

臨床が自己犠牲っぽくうつる、患者のためになっている、特殊な仕事なのです。

臨床研究は、究極の目標はpublic healthへの寄与だと思いますが、それは簡単ではありません。

しかも臨床研究のトレーニングは医学教育に含まれていない。

臨床と臨床研究は根本的に異なります。

 

でも別に好きならやっていいんです。

この上ない良い趣味かと思います。

自分は好きなんで、臨床を止めてまでフルコミットしています。

(臨床も好きなんですが、今は研究の方が好きです)

原動力は単に面白いという気持ちです。

好きで続けてたら、ひょっとすると、良い研究ができるかもしれません。

 

ではまた。

(反論お待ちしております)

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