科学とか科学的理論って、そもそも何?【根本を考える】

どんな科学も、何かしらの仮説を証明するために行います。

その裏には理論があります。

でも、そもそも、科学や科学的理論って何なんでしょう。

この根源的な疑問を考えてみることは、研究をやっていく上でとても大事です。

 

 

科学的理論とか仮説って、そもそも何?

科学的理論とか仮説って、そもそも何?

例えば、収入ごとの「出生時死亡率」を、経年的にプロットしてみました。

すると、全体の傾向として下がってきていますが、1990年くらいから収入層の格差が広がっていました

なぜでしょう?

 

と言われたら、あなたは色々論理や説明が思いつくでしょう。

でも立ち止まってみて下さい。

 

なぜ、そもそもそんな疑問が生じたのか??

なぜ、そもそもそんなデータがあるのか???

 

 

例えば、背景には「収入による健康の不平等はいけない」という隠れた認識があるわけです。

そして、上のグラフはそれを効果的に示す方法だという隠れた認識もある。

科学や科学的な理論っていうのは、明らかに「人間が了解可能なもの」というバイアスが生じていることがわかります。

科学って、なんなんでしょうか。

 

この記事は、「Epidemiology and The People’s Health: Theory and Context」という教科書の第1章を参考にしています。

 

 

科学、科学的理論って何?

結構哲学的な問いですね、これは。

教科書的には、こういうもののようです。

 

✔科学とは、

人間が共通して観察する「現実」の特徴について、何らかの説明や予測を考えたり実証したりする、という「人間の行為」やその行為に基づいた「知識」

*人間が共通して観察できることのみが対象なのが重要です。

 

✔科学的な理論とは、

それにより科学者が「共通認識している事象(因果関係ふくむ)」を説明したり予想したりできるようになる、論理的に一貫しておりおそらく検証可能な考え

*同様に、共通認識されている事象のみがターゲットです。

 

まどろっこしいですが、こんな感じになります。

よく考えてみれば、その通りですよね。

客観性を追求するのが科学なのですが、その基準は人間本位なわけです。

 

*定義に「客観的」という言葉が出てこないのは、「客観的とは何か」という疑問に突き当たるからです。

よく考えると、「それが客観的かどうか」は、歴史的なコンテクストによります。

つまり、画一的な客観性というのは存在しないわけです。

 

 

科学が当然とする「仮定」とは

違う角度から考えてみましょう。

科学が暗に当たり前としている「仮定」が4つあります。

それがこちら。

・人間は、「共有され得る生物物理学的な世界」の中で生きている

・その世界の中で多様に存在する現象は、人間によって解釈可能で、科学的分析の対象となる

・それは人間の存在とは独立しており、かつある頭の良い人間によって調査されうる

・「なぜこの世界は世界足らしめているか」について、人間の間で調査結果を検証できる

 

哲学的ですが、これらは科学する上で必須です。

でもこれらが正しいのかは、誰にも分かりません。

 

そしてもう一つ。

・因果関係というものが存在する、ということ。

 

因果関係が存在しなければ、科学は存在しえませんね。

 

 

科学的理論が当然とする「前提」とは

科学的理論にも前提があります。

いくつかみていきましょう。

 

✔複数の人間により調査される対象となりうる概念

→そして伝達手段としてメタファーとメカニズムを用いる

→例えば「DNAにより”what makes us human” がわかる」など。

*これは還元主義とも関連しますね。詳細はこちら

 

✔「共有され得る生物物理学的な世界」

人種により疾病発症リスクに差がある、という科学的な説明に対し、「人種」とは何か、というのが共有され得る概念か、ということ

→色の違いなのか、社会的な違いなのか。

→今このように私が解説してあなたが納得するのは、それが「共有され得る概念」だという一般的な認識があるからなのです。今までの科学の発展により、それが共有され得る概念になったため、科学の対象となったとも言えます。

これ面白いですよね。エイリアンやおばけが科学的でない、というのは、それが「共有され得る生物物理学的な概念」でないからなのです。でもそれは人間の叡智が及んでいないだけかもしれない。科学的理論というのは、そういうlimitationがあります。

 

科学的な所見というのは、「そこにある」ものでなく、「我々が見る」もの

もし「微生物」という概念が無かったら、如何に顕微鏡を使って微生物が見えても、科学の対象にはならない、ということです。

もし「所得による健康格差」という概念がなければ、最初に提示したグラフは生まれません。

→逆に言うと、人間の進歩(経験)に伴い科学というものは変わってくる、ということです。

 

✔科学的理論はfallibleである

Fallibleというのは間違いを犯しやすい、という意味ですが、英単語の方がしっくりきます。

つまり上3つのような仮定に基づいており、その仮定が容易に崩れるので、科学的理論=真実なわけはほとんどない、ということです。

天動説と地動説についてはまさにこの典型。もしかしたら地動説が間違っているかもしれませんが、それは今の我々には想像つかない=科学の対象となっていないだけかもしれません。

また、これは疫学研究、臨床研究ではよくありますよね。当たり前と思われていた治療が、実はむしろ害であった、という事象に典型的です。この記事で少し紹介しています。

 

✔科学的理論=人間の知恵、ではない

当然ですが、科学者は見落としがちです。

科学がみていることなんて、事象のほんの一部に過ぎません。

東洋医学が典型的ですね。今でこそ、東洋医学を疫学的に研究しようという動きがでてきていますが、その理論(どこのツボを押せばどうなる、など)については未だにいわゆる“科学的”でないですね。でも患者を治療してきた中国3千年の歴史がある。

 

 

結論

科学や科学的理論というのは、人間が考えているものであり、真実だとは言えない。

ではまた。

-疫学・臨床研究

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